音楽の価値は“いま”だけじゃない
――ZEN RYDAZ、インタヴュー
取材/文 二木信

ZEN RYDAZの3人は、『ZEN TRAX』という彼らが先日リリースしたアルバムを“ワールド・ミュージック”という主題のもとに作り上げた。だが言うまでもなく、彼らのワールド・ミュージックというコンセプトは、 欧米の音楽と非西欧世界の音楽を区分して後者のみに傾倒するものではない。彼らは、ブレイクビーツ、レゲエ、ダブ、ベース・ミュージック、アフリカ音楽、ファンク、雅楽、ヒップホップ、ジャングル、 ハウス、サルサ、あるいはインドやエジプトの音楽などの要素を有機的に結びつけ、独自のダンス・ミュージックを創出している。世界各地域の音楽の土着性の異種交配をもって、東京の音楽の土着性を表現しているとでも言えようか。 旋律やリズムなどの組み合わせ方には見事なものがある。都会的に洗練されているが、粗野でもあり、また複数のシンガー/ラッパーとの曲は自然信仰にも通じている。現代的手法を用いてはいるが、 ギラギラした欲望剥き出しの若者の流行の音楽とは違う。しかし、そのことが逆説的に “いまの音楽”への問題提起にもなっているのが面白い。
ワールド・ミュージックという主題が、ただサウンドをミクスチャーするだけでないことは、インタヴューの中でMOOCHYが語っている通りだ。それは精神性やアイデンティティと深く結びついているし、 そうでなければこういう音楽を作ることはできない。さらに、90年代の東京のクラブ・カルチャーから登場した3人のリアリティがここにはある。それも重要なポイントだ。

MACKA-CHIN、MaL、J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY)というおそらく少なくない人にとって意外な組み合わせのZEN RYDAZだが、グループ名は禅とライダー(3人ともバイク乗りである)を組み合わせて付けられた。
1974年生まれの3人の来歴をきわめて端的に書くと、以下のようになる。90年代後半にジャングルをかけるDJとして東京のクラブ・シーンを騒がせ、その後ワールド・ミュージックを独自に探究してきたMOOCHY、 NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのラッパー/プロデューサーとしてキャリアをスタートさせ、その後ソロではヒップホップに留まらずアンビエントのアルバムを作るなど多彩な才能を発揮してきたMACKA-CHIN、 RUB-A-DUB MARKETのMCを経て、現在はベース・ミュージック・クルー、PART2STYLEのセレクター/プロデューサーとして国内外の現場で現代的にレゲエを解釈し表現し続けるMaL。

僕はもちろん『ZEN TRAX』の主題に大いに関心があった。が、その前に実はそれぞれに古い付き合いである3人の出会いや関係について訊いてみようと思った。なぜならば、 そのことが90年代から現在までの東京のクラブ・カルチャー/ミュージックの歴史の一端を紐解くことにもなるし、彼らがそこで経験して得た価値観やセンス、あるいは時代精神が、 ZEN RYDAZの音楽にいかに影響し、つながっているかを知りたかったからだ。現在の音楽について考える上でも。


ZEN RYDAZの3人の出会い

――3人の出会いの話から聞かせてもらえますか?
 
JUZU a.k.a. MOOCHY(以下、MOOCHY):MACKA-CHINと最初に会ったのはどこだっけ? 記憶ある?

MACKA-CHIN:いやあ、古いもん。おぼえてないよ。渋谷か六本木の盛り場で会ったと思う。要はMOOCHYとは“都会の友だち”って感じなんだよね。

MOOCHY:出会ったのは高校のころでしょ。このZEN RYDAZのアルバムの2曲目の“Gravity”で口琴とホーメイをやっているHabariwoodってヤツと俺が同じ高校に通っていて、 そいつがMACKA-CHINと俺の共通の友だちだった。MACKA-CHINとは違う学校で、喧嘩する時もあれば、仲良く遊ぶ時もある、みたいな関係で。 俺は中学生のころにDJのTASAKAと出会っていて、MACKA-CHINは俺とTASAKAが高校のころに主催したパーティにも遊び来てくれていたけど、MACKA-CHINは最初ヒップホップのイメージはなかった。 それが、高校2年生のころ、「俺、ラップやるわ」って地元の足立区のライヴ・ハウスでパーティをやり始めたんだよ。さすがパー券を売り捌くのが上手くて人がたくさんいた(笑)。

MACKA-CHIN:俺は高校時代から“どちゃらのパリピ”で遊びの延長線上でクラブのDJもやるようになってね。

MOOCHY: OTOTOYのHIGHTIME Inc.(DJ TASAKAとMOOCHYのユニット)のインタヴュー( https://ototoy.jp/feature/20171218 )にも登場する、 CISCOでヒップホップを担当していた下田アキトも高校時代にMACKA-CHINと出会っているし、俺らが中学生や高校生のころはヒップホップをカッコイイって思っているヤツらはまだまだ マイノリティでだいたいどこかでつながった。俺とTASAKAは毎週〈ミロスガレージ〉に遊びに行ったり、同じくCISCOで働いていた柳川剛くんの兄貴がGAS BOYSのDJバリ“K”~ンだったから GAS BOYSのライヴで暴れたり、BOY-KENとCHIEKO BEAUTYのライヴを観たり、スチャダラパーのPVにエキストラとして出演してダイブしたり、いろいろあって。10代のころ、 ヒップホップとかレゲエとかがそれぞれ大きなビジネスになる以前の現場に立ち会えた感じだった。

MACKA-CHIN:俺は遊び過ぎて予定通り高校をダブるんだよね。だから、人より高校時代が1年長くて、そこでMOOCHYとは距離ができちゃったな。 ダラダラと渋谷のセンター街にいたって言ったらちょっと大げさだけど、要はまだまだ遊べていたの。それで1個学年下の川村の卒パー、大妻の卒パ―、共立女子の卒パ―でひたすらDJしていた。 そうやって芝浦の〈GOLD〉でやる卒パ―に入り込んだりしていたわけ。

一同:ははははは!

MACKA-CHIN:そういう現場にいたのが、1個下のDJ CELORYとかDJ HAZIMEだった。俺は基本的にはただのバイク好きだったから、バイカーのファッションでDJするっていうと散らかっている感じでね(笑)。 一方、MOOCHYとMaLは音楽を探求するスイッチが入るのが俺より早くて、俺が出会ったころにはMaLはすでに真剣に音楽をやっていて。そのころ俺はまだMACKA-CHINでもなかった。

MaL:うん。MACKA-CHINとは18、19歳ぐらい、1992、93年ぐらいには会っていると思う。いちばん記憶にあるのは〈川崎クラブチッタ〉(現〈CLUB CITTA’〉)あたりの楽屋。 MACKA-CHINは楽屋にいる人ってイメージだった(笑)。当時俺は〈クラジャマ〉(〈CLUB JAMAICA〉)とかでDJしていていわゆるレゲエの世界にいて、MACKA-CHINはヒップホップの世界にいたでしょ。 MOOCHYが言うとおり、当時、東京でレゲエやヒップホップをやっていればだいだい同世代とは知り合うわけ。そもそもやっている人数が少ないから。 で、俺が一緒に活動していたダンス・グループ、RAMPAGEのメンバーに、MACKA-CHINの同級生がいて。そういうつながりがあったし、RAMPAGEは雷とかとパーティしていたから、 俺もそこでバックDJとして出演したりしていた。そういうダンサーの人らから「ヨシテル」って呼ばれている人がのちのMACKA-CHINになるわけだね。

MACKA-CHIN:ヒップホップとレゲエはいまよりも近かったし、ニトロ(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)やる前にMaLとは会っているね。

MaL:池袋にオープンした〈BED〉(1997年にオープン/2019年閉店)で俺とMACKA-CHINの共通の知り合いがパーティを始めて。ヒップホップとレゲエの人たちが 一緒にやっているようなパーティだったんだけど、そこにいずれニトロのメンバーになる人たちがいたよね。

MACKA-CHIN:デビューする前にニトロはストリートで流行っていたからね。自分たちでイベントをやってクラブをパンパンにしてレコード会社から話が来て作品を出して、メジャーに行く。 そういう段階を踏んで大きくなっていったから。〈さんピンCAMP〉(1996年)のころには自分たちの中でニトロは確立されていた。同じころMOOCHYはDJとしてすでに名前が知られるようになっていて。 俺が初めてMOOCHYの作品をちゃんと聴いたのは、CISCOテクノ店の3周年(1997年)記念のノベルティの2枚組のミックスCDなんだよ。

MOOCHY:KARAFUTO(田中フミヤのプロジェクト)と俺のスプリットのミックスCDだ。

MACKA-CHIN:そう! それがすでにいまのMOOCHYの音楽と同じでジャンルに縛られていなくて。超狂っているんだけど、俺は変わっているミックスCDを集めていたから超楽しい聴きモノだった。 最初はヒップホップ寄りだったTASAKAもテクノの方に行ったよね。

MOOCHY:そのスプリット・ミックスでは、ジャングルはもちろん、ファンカデリックとかいろいろ混ぜていたね。そのころ渋谷のレコ屋街で偶然MACKA-CHINと遭遇したこともおぼえている。 俺は、MUROくんのお店〈SAVAGE〉(1996年オープン/2008年閉店)の前にあった箱でDJしたりしていたんだよね。そこは元々〈ROOTS〉っていうブラコンの店で、お客さんは黒人とビッチ、 みたいな(笑)。そこでセイバーズ・オブ・パラダイスみたいなダブとかブレイクビーツとかかけたらウケたんだよね。で、店長がある事情でいなくなっちゃったあとに、 その場所にオープンしたのが〈HIGH HOLE〉っていう箱で、そこで始めたのがジャングルをテーマにしたRHYTHM FREAKSだった。

MaL:俺はもちろんMOOCHYの存在は昔から知っていたし、友だちや知り合いはMOOCHYと接点があったけど、直接出会うのはここ7、8年前だよね。

――あ、そうなんですね。

MOOCHY:そう。MaLとは311後にとある現場で出会ったんだよね。

Mal:うん。MOOCHYとは意外に最近の付き合い。ZEN RYDAZの3人は同い年だけど、こうやって90年代を思い出すと、10代のころからそういうクラブに出入りしていた俺らは当然そういうシーン、 夜の世界ではいちばん年下だったよね。それもあって、2、3個上ぐらいまでは同期みたいな仲間意識があった。



“モノマネ”じゃない東京の音楽 

――今回の『ZEN TRAX』は本当にいろんな音楽の要素が盛り込まれているじゃないですか。これまでの話の流れで訊きたいんですけど、 ここでの3人のセンスは、3人の特異な個性だったのか、それともいま語ってくれたような90年代の東京のクラブ・カルチャーの環境で培われ、育まれたものだと思いますか?

MaL:NYでヒップホップが誕生する、またはブリストルやロンドンで何かの音楽が流行ると言った場合、人種も深く関係してきたりもするじゃん。でも、東京はそのあたりがわりとフラット。 クラブというハードの中のジャンルというソフトだからいろんな影響を受けるのは、わりと東京では必然だと思う。俺も〈クラジャマ〉でレゲエを始めてすぐに飽きちゃった。何に飽きたかって言うと、 早い時間にロック・ステディをかけて、深夜の2時ぐらいになったらダンスホールの流行っているものを順番にかけていく。たとえば、ハーフ・パイントのあとにスーパー・キャットをかけなきゃいけない空気や セオリーが面白くなくなってしまって。その後、青山の〈MIX〉でレギュラーでDJするようになってそこで遊ぶようになった。〈MIX〉では、いまからレゲエの時間が始まるよ、とかそういうんじゃなくて、 一晩の流れの中でいろんなジャンルのひとつとしてレゲエがかかったりする。それがカッコイイと思ったし、これが東京のクラブ、東京のクラブ・ミュージックだなって俺は実感して。 MOOCHYもMACKA-CHINもジャンルがどうとかじゃなくて、とにかく良い音楽に対する探究心があったんだと思うよ。

MOOCHY:俺はレゲエやヒップホップとの接点もありつつ、BORISやギターウルフ、ミッシェル・ガン・エレファントといったバンドとも対バンしてそういう音楽も吸収していたしね。 MACKA-CHINは幼少のころから芸能山城組みたいな民族音楽とかも好きだったんでしょ?

MACKA-CHIN:うん、民族音楽みたいなものはずーっと好きだったからね。あと俺は喜多郎のシンセサイザーで育てられたからね。家族で喜多郎のライヴに行ったりしていたし(笑)。

MOOCHY:喜多郎が子守歌だったんだ(笑)。それこそ311以降、MACKA-CHINとひさびさに会って話して、長野県の長門牧場でやった〈MOVEMENTS ONENESS CAMP 2012〉(MOOCHYのオーガナイズの下、 縄文と再生をテーマにして2012年8月31日から9月2日の3日間にわたり行われたフェス)にDJで誘ったし、〈UNIT〉での〈MOVEMENTS ONENESS MEETING〉にも遊び来てくれたり、 そっちでもDJしてもらったり。MACKA-CHINがワールド・ミュージック的な音楽に関心があって、そういう感覚でDJしたり制作しているのは漂ってきていたから。

MACKA-CHIN:俺はニトロの人って見られるのがとにかくずっとストレスで。個人でやっていることはぜんぜん違うのに、ハードコアなラッパーという先入観で見られてしまう。 俺、イレズミも入ってないって話だし! ソロのデビュー・アルバム『CHIN ATTACK』(2001年)からすでにハウスのトラックとかでラップしているし、日本語ラップっていうムラから早く飛び出たかった。 『LAST』(2007年)っていう作品はメジャーから出していてお金も使えたから、そこに入ってる“Firm ground”って曲では坂田美子さんに依頼して薩摩琵琶を演奏して歌ってもらったりして。 アメリカの流行のヒップホップをフォローするのはニトロでやっていたから、ソロではとにかく真逆なことをやりたくて、日本の音楽を取り入れて独自のモノを作ったりしていたんだけど、 そのことによってどんどん変態扱いされていっちゃうんだよね。MaLも10代後半でレゲエの現場を経験してその後自分なりのフィルターを通してレゲエをやっていたでしょ。 MaLがPART2STYLE(2005年始動)を立ち上げる前にやっていたグループのライヴを観てカッコイイと思ったね。

MaL:RUB-A-DUB MARKETね。

MACKA-CHIN:そう。ジャングルとかラガマフィンをかけたりして、出音もすげえし、独自だった。少し言葉は悪いかもしれないけど、日本のレゲエのシーンは、 どうしてもジャマイカのモノマネに走ってしまう傾向があったりするじゃん。でも、MaLは違った。そこが面白かったし、共感した。とはいえ、 俺もショーン・ポールの来日ライヴを観て面白いなって思ったけどさ。

MaL:ははは。例えばレゲエにしろヒップホップにしろ、海外で生まれた音楽を受け取って、自分なりに東京発信のオリジナリティのある音楽をいかに外に出すかっていう意識で俺はかれこれ20年ぐらい音楽をやっているつもり。 そういう意識はMOOCHYともMACKA-CHINとも近いんじゃないかな。世界各地のいろんなジャンルの音楽から好みの要素を引き出して、自分の中の武器として蓄えて表現している。



アイデンティティとしてのワールド・ミュージック 

――ZEN RYDAZは、ワールド・ミュージックをコンセプトのひとつに掲げていますよね。MOOCHYさんは、『COUNTERPOINT』を出した2015年のインタヴューで、 「自分にとってのワールド・ミュージックとは、先祖から伝わるもので、もしくはその楽器や演奏法に、現在の西欧楽器中心的な考えとは違う発想で演奏されている音楽を ワールド・ミュージックとして思っています」(2015年/ELE-KINGhttp://www.ele-king.net/interviews/004895/ )と語っていましたが、いまはどう考えていますか?  3人のワールド・ミュージックについての考えを聞かせてもらえればと。

MOOCHY:俺は、その時語ったことといまもそこまで考え方は変わらない。自分の立場を俯瞰して視ることは大切だと思う。例えば、80年代に生きた俺らの先輩にあたるミュージシャンやアーティストの人たちの中には、 漠然とロンドンやNYに憧れるという風潮があったと思う。いまでもベルリンに憧れるとかあるんだろうけど、俺は若いころに欧米じゃなくて、タイやバリといったアジアに行ったのが経験として大きい。 もちろんUKやUSの音楽も聴いていたけど、タイ、バリ、インドネシアなんかに行って、それら現地の音楽のカッコ良さを感じた経験からもう一度ロンドンやNYとは別の形で進化した日本や東京の音楽について考えるようになった。
『COUNTERPOINT』のころに比べて変わったことがあるとすれば、より自分のアイデンティティについて掘り下げて考えるようになったことだと思う。ZEN RYDAZをやることになって3人で話し合った時に、 アジア、フリーダム、フューチャーといったいくつかのキーワードが出てきて、その中で特にアジア、アジア人というのは3人とも共通して大事だと感じていたし今回のひとつのポイントになった。
ただ、それは何もアジアの地域の楽器や言葉だけを使うということではなくて、アイデンティティの問題としてね。自分たちはアジア人で、そのアイデンティティに自信を持つことは大事だと。 ただただNYの黒人やロンドンやブリストルの白人が作った音楽のモノマネをしていても仕方ないし、逆に西欧の音楽じゃなくて、70年代のフェラ・クティとか80年代のキング・サニー・アデ、 あるいはケルト音楽といったワールド・ミュージックに憧れるのも違うと思う。
そうじゃなくて、自分たちの立場や置かれた現状も第三世界的な視点でみるというか、日本だけじゃなくて、アジア地域全体だって、第二次世界大戦でボロボロになってそこから復興していまに至る歴史と言うのがあるでしょ。 だから、そういうアジアの俺らが立ち上がるための音楽、そういう自分たちのアイデンティティを肯定する意味でのワールド・ミュージックだと俺は考えている。

MACKA-CHIN:いまMOOCHYが言ったように、自分たちのアイデンティティやオリジナリティやスタイルをいかに世界に打ち出すかってことではあるね。たとえば、ド定番じゃない楽器と楽器の組み合わせを試してみるとかね。 雅楽の篳篥(ひちりき)とディジュリドゥを組み合わせるとか、島国アイディアだとは思うよね。そういう異種格闘技感っていうのも、おおまかにワールド・ミュージックだと俺は思う。

――1曲目の「Beginning」がまさに雅楽とディジュリドゥの組み合わせですね。
MACKA-CHIN:俺の記憶が正しければ、ディジュリドゥのGoRoさんの演奏は、MOOCHYが後半で加えてきたんじゃなかった?

MOOCHY:いや、違うよ。GoRoさんはMACKA-CHINのアイディアだったんだよ(笑)。“Beginning”、“Shouka ~昇華~”、“Color Com”、“Iway”の4曲は元々俺のトラックだった。 “Beginning”には雅楽が強烈に残っているけれど、実は他の3曲にも若干篳篥(ひちりき)の音が入っている。雅楽と天皇家や皇族との結びつきについてはここでは措くとして、 雅楽の面白さはルーツを辿れば中国や朝鮮半島にも行き着くことで、アジア発祥の音楽と言えるところ。あるきっかけがあって、そういう音楽とヒップホップ的なビートを融合させる試みをやった4つのトラックを作って。 で、俺がワールド・ミュージックをテーマにやっている〈MOMENTOS〉っていうパーティにMaLとMACKA-CHINをDJで誘った時に、その4つのトラックを元にして一緒に何かやってみないか?って話してデータを送ったの。 そしたら2人が乗ってきてくれて、2人も自分の作ったトラックを出してきた。だから、まずはその4曲と〈MOMENTOS〉というパーティがきっかけになってZEN RYDAZは始まっている。

MACKA-CHIN:俺は、MOOCHYがやってきたことに対して憧れがあったんだよ。MOOCHYみたいに尺八を演奏できる人(尺八の演奏者、Kenji Ikegamiは本作収録“Chuu”に参加)やディジュリドゥを 演奏できる人が周りにいるのが単純に羨ましくて、俺の方からそういう人たちを誘って作ろうよって積極的に言ったね。

MOOCHY:それが俺からすると意外だった。Kenjiや及川(景子)さん(ヴァイオリン奏者。本作収録“Chuu”に参加)の名前が挙がるのはある程度理解できるんだけど、GoRoさんや2曲目の“Gravity”で歌っている、 RABIRABIってバンドのAZ3ちゃんとかの名前が出るとは思わなかった。GoRoさんとは昔からの付き合いなんだけど、いっしょに音楽を作ったことがなかったし、俺ひとりだったらなかなかアプローチしない人たちを MACKA-CHINが提示してきたのが面白くて。ディジュリドゥと雅楽のサンプリングを組み合わせるっていうアイディアも俺だけでは考えつかなかった。MACKA-CHINのアイディアがあって実現している。 宮廷の音楽になった雅楽とオーストラリアの原住民のアボリジニのディジュリドゥというある意味では対極な背景のある音楽を組み合わせて、そこにPART2STYLEのNisi-pのMCが入ってくる。 それと、MACKA-CHINと制作していて面白いと思ったのは、MaLも俺もトラップはけっこう好きだけど、逆にMACKA-CHINがトラップはそんなに好きじゃなかったこと(笑)。

MACKA-CHIN:MaLなんかは“いまの音楽”をやっているし、そういう音楽でフロアを盛り上げているでしょ。だから、全体をいまの音楽っぽく整えているのはMaLなんだよね。

Mal:まあそうかもね。いま2人のワールド・ミュージックについての考え方を聞いていて、俺はワールド・ミュージックに対して2人ほどは深く考えてはいないと思う。 もちろん広い意味でワールド・ミュージックは好きだよ。

――レゲエもワールド・ミュージックと言えば、そうですしね。

MaL:そう。俺らが10代のころは、レコード屋ではレゲエはワールド・ミュージックのコーナーに置いてあったしね。で、ある時期からレゲエは単独ジャンルに昇格したけどさ(笑)。

MOOCHY:ブラジル音楽やボサノヴァだってワールド・ミュージックって括られていたわけだし。

Mal:そう。クンビアとかもそうだよね。ワールド・ミュージックって言葉は、“NOT URBAN”みたいなニュアンスがあるでしょ。

――土着性のある音楽というニュアンスがある、と。

MaL:そう。だけど、いまは欧米のTOP40のチャートに入るようなヒット曲にアフリカの楽器が使われていたりするのも当たり前の時代でしょ。トレンドや流行が土着性のある音楽の違和感を消し去って アーバンに聴かせたりしている。ただ、ZEN RYDAZはそういう流行をあまり意識せずに良い音楽を作ろうっていうのが中心にあった。だから、俺からすると、時流を意識せずに良い音楽を残そうっていう気持ちで モノ作りに取り組める良い機会だったね。そういう時に、MOOCHYの言うようなワールド・ミュージックのコンセプトがあって良かったんだと思う。
 


お互いにないものを活かし合う 

――MOOCHYさんは世界各地でさまざまなミュージシャンの演奏を録音してその演奏を用いて自分の音楽をプロデュースして構築していく方法論をこれまでの経験上持っていると思うんです。 一方で、MaLさんはPART2STYLEで、たとえば最新のUKのグライムをかけたりしていて斬新なビートへのアンテナが高い。MACKA-CHINさんはラッパーの目線というものがあります。そのあたりのおのおのの個性や特性を具体 的にどのように生かして作品を作り上げていきました?

MOOCHY:お互いがないものを持っているのはすごく良いことだと思ったね。〈MOMENTOS〉に2人を誘った時にB2Bをやって、そうやって音で触れ合うことで理解できたことはあって。 この作品はある段階で12曲に絞られて、そこで並べたラフスケッチを聴いた時にマッシヴ・アタックっぽいなって俺は思ったの。マッシヴ・アタックも、レゲエ、ヒップホップ、パンクとかの要素が混じって音楽ができていて、 どっしりしたストリート感もあるけれど、どこかに暗さがあり恍惚としたトリップ感もある。で、10年後20年後聴いても、カッコいい。

――『Blue Lines』(1991年)とか『Protection』(1994年)のころのマッシヴ・アタックってことですよね。

MOOCHY:そう、女性ヴォーカルの歌モノの“Unfinished Sympathy”のヴィデオとかを中学生のころに見て。ああいうダブとかヒップホップが混ざっている都会のクールな感じが俺の原体験のひとつにはあるし、 それで2人に「マッシヴ・アタックってどう思う?」って訊いたら、2人も好きだと。まったくバラバラのことをやってきた3人だけど、今回やっていく上でひとつ意識したのは、マッシヴ・アタックだった。 俺の中では、これだけ歌やラップが入っていて、しかもそれが日本語っていうのは珍しい作品でもあって。SHING02やRINOくん、RITTOとか日本のラッパーとも共作してきたけれど、 そこまでやってこなかったことなんだよね。


Massive Attack - Unfinished Sympathy


JUZU / GRACE feat Shing02


  ――たとえば、RHYDAのラップを提案したのは誰でしたか?

MOOCHY:俺だね。吉祥寺の〈CHEEKY〉で出会って、今回声をかけた。

MACKA-CHIN:俺も〈WARP〉に遊びに行った時にCDをもらったんだよね。RHYDAは評判が良いし、作品も聴いて良かったからね。ただMOOCHYがそういうラッパーとつながっているのが俺からすると笑っちゃうんだけどね。 ぜんぜんジャンルが違うのになんで知っているの?って。MaL:“Rumble”は俺のトラックで、記憶が正しければ、俺が10年ぐらい前に初めて作ったトラックなんだよね。

MACKA-CHIN:MOOCHYが言うように歌モノやラップの曲がけっこうあるけど、最初は、俺とMaLはインストの四つ打ちとかそういう音楽をメインに作るつもりでいたの。俺らはヴォーカルが入っている音楽やそういうジャンル育ちだから、 こういう機会にインストの音楽を作るぞ!って。そしたら、MOOCHYが逆にヴォーカルを入れた音楽を作りたがって。

MaL:だから、お互い、ないものねだりなんだよね(笑)。

――ははは。“Rumble”では、笛の音やマリンバの音、弦楽器や女性の歌が有機的に絡み合っていますよね。 これらはMOOCHYさんがかつてミュージシャンに演奏してもらったものを使っているのか? それともサンプリングですか?

MOOCHY:多くはサンプリングだね。

MaL:マリンバは俺がシンセで打ち込んでいてそれこそまさにマリンバが入っていたから、これはZEN RYDAZで使えるかもしれないって蔵出ししてきた。

MOOCHY:RHYDAのラップが乗る前にあの女性の歌はあって。“Rumble”はエジプトやインドの音楽の要素が混じっていて、それこそマッシヴ・アタックじゃないけれど、ちょっとエキゾチックな感じがある。 RHYDAもその雰囲気にあわせてラップしてくれたと思うし、“Rumble”には、“Gravity”もそうだけど、ジャングル的要素が入っていたりする。俺が知っている限り、 RHYDAもジャングル感があるラッパーだから、そこもハマっていると思うね。

MaL:RHYDAから最初に送られてきたヴァージョンにはラップが隙間なくびっちり録音されていて、それはそれで良かったんだけど、もう少し隙間を作りたくて、そのバランスの取り方はいろいろ工夫した。

MACKA-CHIN: RHYDAが作ってくれたフックとか、ラッパー的には「マジかよ!?ふざけんなよ!」って思うかもしれないし、そこは申し訳なかったけど、ばっさりミュートさせてもらって。 データを3人で回し合うんだけど、俺のところに来た時にばっさり削った。MaL:MACKA-CHINの関所でばっさりとね(笑)。


――歌モノで言うと、COMA-CHIが2曲でフィーチャーされていますよね。“Hifumi”という曲では、ラティール・シーがパーカッション、 GoRoがカリンバ、In Ruがサックスを演奏しています。こういう演奏者で楽曲を完成させようっていうのは最初の時点で決めていたりするんですか?

MOOCHY:そうじゃないんだよね。まずこれはMaLがUKのアフロビーツを意識したトラックを出してきて、俺もそこに打ち込んでいった。で、作っていくうちにこの曲には生楽器を入れた方がいいということになって、 ラティールのパーカッションをハイファナのスタジオで録音して、そこからCOMA-CHIに振った気がするね。この曲もそうだけど、今回は、ヴォーカル・プロダクションに関しては2人にいろいろ質問した。 というのも、MaLやMACKA-CHINは俺よりはポップス・フィールドの音楽を作ってきた経験があるから、ヴォーカルをどれぐらいのバランスでミックスすればいいのか、その点で2人の視野を入れたくて。 俺はミックスもやったんだけど、言葉とサウンドを調和させたくて。CDのインナーで『人間の想像力を抜きにしては、この世には何も存在しない』(ロバート・M・バーシグ『神とオートバイ修理技術』) っていう言葉を引いているけれど、右脳と左脳を両方開かせる、言葉とサウンドの両方が想像力を掻き立てるような音楽にできたら最高だなって。

MaL:そういう作り方をしているから、13曲それぞれに2曲分のリミックスがあるぐらい作っているんだよね。だから、計40曲とか40ヴァージョンぐらいはあるんじゃないか。 上音とかメインのリードが2回ぐらい入れ替わっていたりする。

MACKA-CHIN:俺のところにデータが来て、「じゃあ、こんな感じで!」ってある音を足したら、次に渡した2人のどちらかに「いらないと思うから消した」って消されてさ(笑)。 「マジかよー!」って。もうそのくり返しだったよ。2人は海外に行ってDJしたり、ミュージシャンの知り合いもいたりするけど、俺はヒップホップ・フォーマットで育ってできることも限られていたから、 楽しみながら修行している感じだったね。ここに収録されている楽曲はすべてそういう3人の“そう来たか!”のやり合いで仕上がって行った。

MOOCHY:最後に、ちょうど俺もMACKA-CHINも子供ができたというのもあって、“Nu-Born”っていうトラックをMaLが子供のお祝いで作ってくれて13曲になってアルバムが完成したんだよね。


音楽の価値は“いま”だけじゃない 

――今回『ZEN TRAX』はワールド・ミュージックが主題にありますが、基本的に踊れる音楽、 ダンス・ミュージックに仕上がっていますよね。国内海外問わず、ZEN RYDAZの音楽がこういう現場でかかったり、 こういう人たちに聴かれて欲しい、というようなことは考えましたか?

MOOCHY:〈MOMENTOS〉ってパーティはまだ4回しかやっていないけど、そこでかけられる音楽を作るっていうのは意識した。たとえば、クアンティックでもディプロでもいいけど、そういう音楽とミックスして、 自分たちのパーティで鳴っているイメージはあった。この作品に関しては、まずは自分たちのニーズ、自分たちのファンを意識していて。俺らの仲間たちが面白がれる音楽を作るのがリアリティだから。

MaL:例えば、“Beginning”はロンドンやヨーロッパの都会的なクラブに来ている耳の肥えた音楽好きにウケそうだなとかは感じたけれど、制作中にそういうことはあまり考えなかった。 GoRoさんがプロデュースした“Beginning”のヴィデオがあるんだけど、それを観てなおさらそう思った。俺は、そのMVを観た時に、ダブ・フィジックス&スケプティカルfeat. ストラテジーの“Marka”(2011年) って曲のPVを思い出して。俺が当時そのPVを見た時にカッコイイと感じたものに通じるものをGoRoさんの映像に感じて。例えばイギリスのヤツが“Beginning”の その映像を観たら似たような心境になったりするかもしれないなって思う。

――なるほど。


ZENRYDAZ BEGINNING Teaser1


Dub Phizix and Skeptical feat Strategy – Marka


MaL:20年ぐらい日本や海外のクラブ、そういう音楽の現場で遊んだりDJをしていろんな音楽を聴いてきた身からすると、何がカッコイイか、何か良いのかって判断する経験値は全世界で同時に積みあがってきて 基準みたいなものができてきていると感じる。しかも、この3人なんてもうおっちゃんなわけでさ。去年、ブリクストンでDJしていたら、二十歳ぐらいの黒人の若者に「君、筋がいいね。どこに住んでるの?」って 訊かれて、「東京だよ」って答えたら、「ロンドンでも通用するからロンドンに住んだ方がいいよ」って熱意を込めて言われたんだけど、俺ももう44歳なんだよね(笑)。ロンドンの二十歳そこそこの男の子より経験値はあるわけ。 でも、どうしてもいまだに日本の人は、欧米で活躍するとか、知らない国で結果を出すのは難しいってイメージしちゃう。でも、ぜんぜん可能性はあって、やるかやらないかってだけだと思うよ。

MOOCHY:去年4月にイスラエルとかフランスに行っている時に“Utopia”の編集作業をホテルでやっていたけど、そういう時にも海外での反応について考えるよりも、とにかく良い音楽を作ることに集中していたね。 フランスでも和モノが流行っているらしくて、吉幾三の7インチを見せられたりしたけど(笑)、彼らは日本語の意味をわからず聴いているんだよね。サウンドがユニークだったらそれでいいんだよね。


ZEN RYDAZ - UTOPIA feat. ACHARU


MACKA-CHIN:俺が和モノという音楽を聴く時、その聴き方が歌謡曲と違うのは、洋楽を聴いている感じで聴いているってことなんだよね。ここの1小節が超カッコイイとか、まさかの矢野顕子のドラムブレイクです、とか。 そういうところを聴いているから、要は海外の洋楽に興味を持っているのと同じ感覚、外人と同じ感覚で日本の過去の音楽を聴いている。

MOOCHY:だからいまは、ますます英語で歌う必要がなくなってきていて、良い音楽を作ればそれが日本語だろうと何語だろうと伝わるものは伝わる時代になってきたし、俺らはDJをやっているから、 音楽の価値は“いま”だけじゃないって感覚を持っていて。60年代にはまったく知られていなかった世界のどこかの地域の音楽が、2019年に世界中で知られて聴かれて評価されたりすることもある。 “いま”だけを狙うと、「ああ、そういう音楽ってあったよね」で終わったりしちゃうからね。10年後、20年後にもカッコイイって聴かれるような後世に残る音楽を作りたいよね。


撮影/写真提供 : Nobuhiro Fukami,Kawanaka



インタビュー後書 

3人へのインタヴューを終えたあと、『ZEN TRAX』を聴きながら僕が読み始めた本は、細野晴臣の『アンビエント・ドライヴァー』とヘンリー・D・ソローの『森の生活』だった。 その2冊をひさびさに書棚から引っ張り出させたのは、ZEN RYDAZの音楽だった。このことが何を意味するかは、勘の良い方にはわかっていただけるはずだ。別にもったいぶった言い方をするつもりはない。 『ZEN TRAX』には、冒頭でも書いた通り、自然信仰の精神があり、それは当然、物質主義や物質文明、(西洋的価値観を土台にした)文明生活への懐疑から来ている。けれども、これもまた言うまでもなく、 ヘンリー・D・ソローにしろ、細野晴臣にしろ、文明生活を完璧に捨てたのではなく、文明生活を問い直すために、自然を観察したり、精神世界を掘り下げたり、 アンビエントの創作に向かった。身の回りのモノを全部捨てて自然に帰れっていう話ではない。

『ZEN TRAX』も基本は都会のダンス・ミュージックだ。“ナイトクラブ”のようなダブ・サルサ・ブレイクスとでも呼びたくなる、世俗的というか、猥雑な曲があったりするのもポイントで、都市と自然、コンクリートとジャングル、 ハードな都市生活と人間の精神に潤いを与える自然の恵みが音楽という芸術の中で上手く調和しているのが、『ZEN TRAX』の素晴らしさではないかと思う。また、MACKA-CHIN、MaL、MOOCHYという、東京出身の異なる個性 (音楽的なものだけではなく、3人の性格や人生観も含めて)が集まったから実現した音楽作品ではないか。ZEN RYDAZを聴いて、ジョー・クラウゼルやロン・トレントを聴きたくなる人もいるだろうし(実際に僕は聴いた)、 それこそマッシヴ・アタックを引っ張り出す人もいるかもしれない。少し立ち止まって、自分たちの都市生活について考えてみようと思わせる音楽でもある。MOOCHYさんは取材の時に、自分のことを、 ちょっと冗談めかして“武闘派スピ”と言っていたけれど(笑)、僕はとても上手い言い方だなと思いました。そういうわけで、5/20(月)にDOMMUNEで放送されるZEN RYDAZの特番では、時間の許すかぎり、 ここらへんの話も少しできれば面白いかもしれない。(二木)

二木信
音楽ライター。共編著に『素人の乱』(河出書房新社)など。単著に『しくじるなよ、ルーディ』(ele-king books)。漢 a.k.a. GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)の企画・構成を担当。 現在は国内のヒップホップ/ラップを中心に執筆、取材を行う。
https://twitter.com/shinfutatsugi


DOMMUNE presents
ZEN RYDAZ ZEN TRAX Release Special Talk & LIVE!!!!!
2019年5月20日 月曜日  19時~23時
出演 : 

ZENRYDAZ
(MACKA-CHIN, MAL & J.A.K.A.M. )
feat. GORO,NISI-P,ACHARU,RHYDA, KENJI IKEGAMI (尺八奏者)&Special Guests???
二木信, NANDE,  SAYUKI(芸者)+ スペシャルゲスト??!!!


2019年5月1日 元号が変わるタイミングでリリースされた
ZEN RYDAZのアルバムZEN TRAXの発売を記念して当別番組を公開!
NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのMACKA-CHIN、PART2STYLEのMaL、JUZU a.k.a. MOOCHY ことJ.A.K.A.M.  それぞれのフィールドで20年以上活動してきた同世代の個性派3人が、満を持してジャンルを越え”ZEN RYDAZ”として遂に動き出す事時点でジャンルの壁が崩壊。
  WORLD MUSICをテーマに、メンバーが旅して得た世界観、常にアップデートされていく其々の感性、追及から生まれるスキルを結集し、 21世紀的ハイブリッドサウンドとしてここTOKYOでクラクションを響き渡らす。
MADE IN JAPANの島リズムが生み出すZEN SOUNDはバウンシーでドープそして自由な発想と飽くなき音楽魂を”禅FLAVA” に乗せ、 大空高くASIA発のニューライダーズサウンドとして言葉を越え世界にアップデートされたWORLD MUSIC を送信する。
今回CDに参加してくれた様々なジャンルで活躍するミュージシャンも特別出演!またとないこの機会を見逃さないで欲しい!


19:00-20::30 トーク
司会進行 二木信 & NISI-P

20:30-21:00 ZEN RYDAZ LIVE 
feat. GORO,NISI-P,ACHARU,RHYDA&Special Guests???

21:00-21:30 MACKA-CHIN
21:30-22:00 MaL
22:30-23:00 J.A.K.A.M.
23:00-24:00 ZEN RYDAZ B2B

NANDEによるライブペイントが同時進行



TBS ラジオ「アフター6ジャンクション」LIVE & DIRECT
ZEN RYDAZ ライブ&トーク出演!
2019年5月24日 金曜 19:05-19:30 頃  生放送(全国20局程度をネット) 
ミュージックゾーン「LIVE & DIRECT」(スタジオライブ) 
FM 90.5
AM 954
にてZEN RYDAZがLIVEとトークで出宣します。

ZEN RYDAZ LIVE 
feat. NISI-P,ACHARU,RHYDA,KENJI IKEGAMI (尺八奏者)&Special Guests???
司会 : 宇多丸(RHYMESTER)+山本匠晃 (TBS アナウンサー) 
https://www.tbsradio.jp



Movements ~ZEN RYDAZ ZEN TRAX Release Party~

2019.06.01(Sat) OPEN 22:00-05:00 @ Solfa
中目黒SolfaにてZEN TRAXリリースパーティーを開催します!
DOOR 2,500YEN WITH FLYER 2,000YEN

-ROOM 1-
< DJ / SELECTOR + LIVE >
ZEN RYDAZ 
(MACKA-CHIN, MaL, J.A.K.A.M.)
feat. GORO,NISI-P,ACHARU,RHYDA,az3,KENJI IKEGAMI (尺八奏者) &Special Guests???

MAMAZU (Hole and Holland)
OG (Militant B / Formation)

-ROOM 2-

NOOLIO (SIDE C)
NAKAMULLAH (WBC)
YUMI-CCO (PLAY LIFE)
Ishii (誤解)

FOOD & DRINK :
Tiny Bird Coffee Survice
スナック胡麻純 
サトリボウル

SUPPORT :Pioneer DJ Soundsystem

中目黒 solfa
東京都目黒区青葉台 1-20-5 oak build.B1
T.03 6231 9051
www.nakameguro-solfa.com
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