J.A.K.A.M. × USUGROW
SPIRIT BEYOND BORDERS


 自分が初めて、USUGROW(薄黒)の作品を目にしたのは、ロサンゼルスのエコーパークにあるショップ「Brooklyn Project」だった。バンドEXCELのダニエル・クレメンツが当時働いていて、グラフィティを始め、LA発のストリートアーティストたちと深い交流のあるその店に飾られていたスカルとレターの作品。ストリート的要素を持ちながら、繊細さと美しさが魅力の作品に心を奪われ、誰の作品か尋ねてみたところ、「USUGROW」という日本のアーティストの作品だということを知った。
そこから何年も経ち、昨年、虎ノ門で開催されたUSGROWの個展「SPIRIT BEYOND BORDERS」に足を運んだ。そのときに目にした作品は、踊る人々の姿を描いた数々の作品だった。その会場に流れていたのは、J.A.K.A.M.の音源。さりげなく流れていた曲と絵が妙にマッチして、作品が更に輝いて見えたことを覚えている。
そして今年、遂に2人がタッグを組んでひとつの作品が出来上がった。USUGROWによる”踊る人々”が掲載された作品集のイメージを、J.A.K.A.M.がオリジナル音源で表現。これまでに制作してきた楽曲を念入りにセレクトし、さらに一曲づつ音の広がりを再構築し直した音源を創り上げた。聴きながらUSUGROWの作品を見ていると、静止画であるひとつひとつの作品が今にも動き出しそうな感じさえしてしまう。その方向性は明るく、そして希望というキーワードが頭の中をよぎった。
 USUGROWとJ.A.K.A.M。絵と音楽、各々の表現方法は異なるけれど、各々が通ってきた道が合致し、1対1で向き合い必然から生まれてきた最強とも言えるこのタッグ。是非、彼らが描く世界を身体で感じて欲しい。
(Kana Yoshioka)


「主流から外れたところに美を見出す。そういう感じじゃないですかね」(USUGROW)

J.A.K.A.M.:USUGROW君は、PUSHEADが好きだったんだよね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pushead

USGROW:最初、パスヘッドファンクラブに入りたくて17~18歳くらいのときに手紙を書いたことがあるんですよ。PUSHEADは「ZORLAC」やメタリカで知りましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=Uh1ktf8k5Iw
その頃の俺は音楽はメタルから入って、スケーターの友達が「ZORLAC」から入ってったから、音は自分が持っていって、向こうはスケートのものを持ってきてって。

J.A.K.A.M.:やっぱりスカルに惹かれてたの? 自分も中高生のときにスカルを描いていたし、うちの子供も小学生の頃にスカルを描きだして、やっぱり男の子は描きたくなるものなのかなって。

USGROW:そういう子供達が一定数いるんじゃないですか。ちょっとヒールっぽいのが好きな子供は一定数いる。主流から外れたところに美を見出す。そういう感じじゃないですかね。

J.A.K.A.M.:最近「カリブ 略奪の海」って本を読み終えたんだけど、カリブ特にジャマイカ辺りで勢力争いをしていた海賊の話も出てくるんだけど、やっぱりその時代の海賊って本当に旗にスカルを描いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/海賊

USUGROW君もスカルをめちゃくちゃ描いているイメージがあるけど、スカルってものに対していろいろ調べたりしているでしょ?

USUGROW:やっぱり宗教とか大きいんじゃないですか。キリスト教とか。宗教以前のスカルの捉え方と宗教がでてきてからの捉え方では異なると思いますね。

J.A.K.A.M.:でも男の子たちがスカルに興味を持つ感じは、もっと原始的な感じがするな。USUGROW君は、うちによく来ることが多いから話をすることが多いんだけど、自分のイメージがスカルに限定されてしまうのは嫌だって言っていたことがあって。で、今回の作品で民族的な感じのものに積極的に行こうとしていたのは垣間見ていたけど、スカルを描きたくなくなったの?

USUGROW:描くのはぜんぜんいいんだけど、他のものを描いてみたい、見てみたいっていう感じですかね。もともと絵を描き始めた最初の頃はスカルを描いていなかったんですよ。すでにパスさん(PUSHEAD)とか描いていたから、俺はスカルは描かないで、もっと身近にある仏像や花とかを描いていたんですよ。俺は15~18歳くらいのときはヘルメットとかギターとかのカスタムペイントをしていていて、そこからパンクにハマってペイントを辞めて、フライヤーとかを描くようになったって感じですね。



J.A.K.A.M.:絵を描くのは好きだったの?

USUGROW:そうでもないんですよ。できればあんまりやりたくないって方でした。

J.A.K.A.M.:俺は親父に「お前は絵の才能はあると思うけど、音楽の才能があるとは思えない」って言われて「は?」ってなったりしたんだけど笑、実際絵を描くのは好きで、入賞とかもして評価されたというか。DJに関しても、「DJになりたい!」と思ってやってきては全くいなかったけど、それがなぜか受け入れられた。USUGROW君は「音楽をやりたい」って思っていたって言ってたよね。

USUGROW:そういうのありますよね。だからいつも思うんですけど、やりたいことと、できることは違うんだよって、そういう感じじゃないですか。バンドは今もやっているんですけど、なかなかそんな。絵に関してはそんなにだったんですけど、でも昔から人にいろいろ頼まれていて。小学校2年くらいのときから、学年便りの挿絵を描いてくれとか。だけど美術の成績は良くなかったです。賞とかもらったこともないし、だけどそういうコマーシャルワークみたいなのは頼まれて……というのは起用にこなすから。なんか、がっつくと離れていくっていうのはありますよね。がっつくと好きなお姉ちゃんも離れちゃうっていうか(笑)。意外とそういうもんなんじゃないですかね。

「今もこうやって作り続けてきて、ようやくやりたい事が表現できるようになってきた」(J.A.K.A.M.)

J.A.K.A.M.:音楽に関して言えば、俺は小さい時はシステムが強くて嫌悪感があったというか。音楽って一般的に学問的には、ジャンベを叩けるとか、パンクやらさせてくれるとかじゃないし。だから音楽っていう学問とか、職業とかは、自分には西洋的で縁遠かったのかもしれない。だけどバント始めたり、DJをやり始めてから楽しくなっていったのかもしれない。
その後大人になって本当に自分は何をやりたいのかって考えた時に、自分は音楽をプロデュースしたいと21~22歳くらいのときに思って、そんな時期に機材購入の融資をされて、そこから曲を作るようになって、でも同時にその頃から楽しいだけじゃなくて、人と一緒にやることの難しさを感じはじめて、それでも1人でこつこつやるようになって、ようやく最近パッと音楽を作れるようになったって感じ。でも20年くらい自分の収入源はずっとDJだったし、曲のクオリティもそこまで追いついていけていない時期が長かったんだけど、今もこうやって作り続けてきて、ようやく少しはやりたい事が表現できるようになってきたのかなって。

USUGROW:10代の頃に、将来何をやろうかって決めることはなかなか難しいと思うんですよね。それよりも思っていたことをやっていくとそれなりに行き着くっていうのはあります。

J.A.K.A.M.:俺たち同じ年なんだけど、USUGROW君が東京に出てきたのは、いつ頃だっけ。

USGROW:22年前かな。東京に出てきたのも彼女ができて、転がりこんだ感じだったんで、「東京に行って何かしよう!」って感じではなかったんです。しかもその頃は絵と並行してバンドもやっていたから、週に一度はスタジオに入っていて、東京から福島のスタジオに週一で通っていたですよ。最初は新幹線で通っていたんだけど、瞬く間にお金がなくなってしまって、バスになり、そのうち通えなくなって……。

J.A.K.A.M.:ちなみに俺もUSUGROW君もCOCOBATの坂本君にアーティスト名の由来があるのも奇遇だよね。

USUGROW:坂本さんには本当によくしてもらいましたね。どこの馬の骨とも知らない若造なのにフックアップしてもらいました。今でもですけど。



―お2人はいつ頃出会ったんですか?

USUGROW:震災の後ですよね。震災後にやったELEVENでのパーティ「MOVEMENTS」で、「ライヴペインティングをやって欲しいって、MOOCHYさんが言ってる」って、べん(朱のべん)君から連絡があって、それで初めて会ったんですよね。俺の仕事場に来てくれて。

J.A.K.A.M.:武蔵境のスタジオに行ったんだよね。そのとき何を話したか覚えていないんだけど、2時間以上話したかもしれない。べん(朱のべん)が、USUGROW君プロデュースのSHINGANIST (USUGROWが企画したグループ展(SF, LONDON, TOKYOでのアートショー)とコンピレーションブックのプロジェクト 参加はUSUGROW 野坂稔和 MOZYSKEY 朱のべん 金子潤)に参加していて、それを見せてくれたんだよね。で、自分の家と近かったし、その頃はUSUGROW君が野坂くんとスタジオシェアしていたから。俺は野坂くんとは下北沢にヴァイオレントグラインドがあった10代の頃からの旧知の仲だったから、それで割と身近な感覚で話ができた感じだよね。

USUGROW:震災の直後でしたよね。夏くらい。僕はその頃はMOOCHYって名前では知らなかったんだけど、べん君から「PUSHEADのコンピに参加したバンドで、イービルなんとかって言ってました!」って聞いて。そのときに「EvilPowersMeか!」って。そのバンド名は知っていたんですよ。あと、何かのフライヤーに「NXS」を描いたことがある。で、初めて会ったときは、昔何をしていたかとか話しなかったんですよ。それが良かったです。震災の話とか、次にやるパーティの話とかして。



「アートや音楽に託して自分自身を浄化している部分がある」(J.A.K.A.M.)

J.A.K.A.M.:実際に今も俺らはあまり昔の話をしないで、前へ前へって感じではあるんだけど、今回の「SPRIT BEYOND  THE  BORDERS」は、「SHADOW DANCE」とか、7年前の感じじゃない。改めて50近くなったっていうのもあると思うんだけど、自分の中でようやく振り返られるというか、自分がやってきたことを認識し直す感じになれてる。よく「MOOCHYさんは、ムスリムなんですか?」って聞かれることが多いんだけど、これまでにセネガル、モロッコ、トルコとかいろんな国に行ってきた流れが今でも自分に影響を与えてるし、それが今から11年前の2011年の2月とか。その帰国後、あの震災の後USUGROW君と会ったんだけど、あの時、福島出身なのにあまり福島のことを語らなかった。だけど語らなくても重い思いは持っているんじゃないかなって思っていて。そういうモワッっとした俺らの思いみたいなもの……この世に対する怒りとか憤り、想いを、アートや音楽に託して自分自身を浄化している部分が俺は凄くある。

USUGROW:想いをどこで出したらいいんだろうってなっちゃいますからね。結局出せたからといってスッキリするのは一瞬で、やっぱり次になんかやらないとって。その繰り返しって感じですね。

J.A.K.A.M.:でもさっきも言ったけどようやく自分に振り返れる余裕がでてきたっていうか。

USUGROW:余裕かもしれないし、進み方が前よりも遅くなっているのかもしれないし。若い頃みたいに、次に次にどんどんっていう感じじゃなくて、ひとつひとつ長く時間をかけてするようになるから。

J.A.K.A.M.:自分の中では割と計画的に物事を進めてはいるタイプではあるんだけど、20代の頃には40歳から50歳までまではいろんなことをやっておかないとプレッシャーで辞めたくなりそうだなって感じていたから、今もこうやってコロナみたいなものがあっても自分を曲げないで、世の中がどうなろうと「やり切る」みたいな感じで想定済みではあった。でも50歳以降のやりきった後は、なんかもっと静かな音楽をやってもいいかなって。なんか自分は年相応でいたいなと思っていてるんだよね。一般的に、世間の50歳はおっさんで初老だと思うけど、その年相応の音楽をやりたい部分もあって。ヨーロッパの人とか年齢は関係ないってよくいうけど、年齢とかあ時間って平等に与えられた価値だと思うから、それをどういう風に扱うかは、人それぞれで、時間の扱い方は有限であるけど着実にちゃんとやらないとって。

USUGROW:年相応じゃないですけど、そういうこと自分も考えるようになりましたね。なんでハードコアから離れたかっていうと、子供はお腹が空いたときにワッと泣いて、言葉が話せない分インパクトを残すじゃないですか。何かを発散するときに、若い頃は発する言葉が少ない分、ああいう音で良かったと思うんですよ。人に何かを伝える上で、爆音でノイジーでって。でもある程度人に伝えられる言葉をもって、注目されるだけでなく、どう人とコミュニケーションをとっていこうか、そこから一歩進んで話し合おうかって姿勢を持ったときに、ハードコアとか少しそういうものから離れて違うことがやりたいなって。そんなこと考えているうちに、どんどんこういう(今回の音源)音楽に寄っていった感じですね。

J.A.K.A.M.:俺もそんな感じだな。バンドやDJをやりながら音を聴いていた中で、18~19歳くらいでいわゆるベース(低音)カルチャーに出会ったんだけど、GAXI(現「KAWAMOTO AUDIO」主宰)っていう、当時「DESERT STORM」ってレゲエ系のサウンドシステムをやっていた人に出会ったことで、ベースっていうものがいかにやばいものなのかを知って。それまで爆音は爆音でも、ハードコアとかも含めて当時のいわゆる現場はミッド(中音)のラウドさじゃない。低音も出てはいるけど、高音多めっていうか。

USUGROW:直線的だし。

J.A.K.A.M.:そのロー(低音)の部分が、レゲエ、ダブ、あとは西海岸のヒップホップとかのサウンドシステムミュージックに通じて、GAXIが言ってた「脳みそを揺らす」……ある意味、気持ち良いを超えて身体に悪いよねっていう笑。GAXIはその頃から「BASE IS FUTURE」って言ってて、ある意味予言通りそれが後にベースミュージックって言われるジャンルになっていったけど、今のEDMとかハードコア的な要素もありながら、明らかに低音を重視したものが多いし、うちの子供たちも含め若い子たちは、過剰に低音を好むというか。低音っていう文化が根本的に新しいんだよね。
 低音っていうものをきちんと聴かせるには、例えばヒトラーみたいに低音で人を殺そうとしたみたいに、1940年代から低周波を出せれる音響というものができてきて、それがどんどん進化していって、サブウーハーとかを通して、20ヘルツとか人の耳には聞こえない帯域の振動を作り出すみたいな。それがなぜ中毒性があるのかというと、新しいからだと思うんだよね。シンバルとか、トルコの古代の楽器とかでもデカイ音は出せるけど、低音って和太鼓とかに一瞬の低音はあっても、持続的な低音はない。やっぱり昔の楽器では作り出せなかったものなんだよね。俺が18~19歳のときにジャングルのムーヴメントが始まって、俺はロンドンの影響はなく、たまたま近くにいた超レゲエ上がりのサウンドシステムのオーナーGAXIとタッグを組んでやっていたRHYTHM FREAKSと、並行して先述したバンドEvilPowersMeもやっていたけど、両方ともラウドミュージックだったけど、そのラウド性が違う。

USUGROW:種類が近いますね。ベースの。

J.A.K.A.M.:レゲエは中学くらいの時から聴いてはいたけど、当時はなんか「ウソくせえ」って俺にとってはぬるい音楽に聴こえた。でも、そりゃ脳みそを揺らすまでのサウンドシステムでボブ・マーレーを聴けば、それがある意味かなり凶暴な音楽だって理解するし、そこからラスタとかレゲエの中にある宗教的な部分や、ヨーロッパ列強がやらかしたアフリカの奴隷貿易や、つまり音、音響からDOPEな意味を知っていくことになった。俺たちがやっていたラウドミュージックとか、ビースティ・ボーイズのようなものは言っちゃえば人種的にはヨーロッパ的な音じゃない。さっきUSUGROW君が言っていたみたいに、子供がギャンギャン言っているのと同じ。それと、アフリカから奴隷として連れてこられた人たちが作る音楽と比べるとそりゃやっぱり違うよね。でも福島、広島、沖縄みたいなものもそうだし、この自分が育った国も思った以上に植民地なんだなってわかると、余計にジャマイカのラスタの人たちの気持ちがわかるってうか、他人事じゃないなって思うようになってくる。

USUGROW:離れているように見えて、実は身近な話だったというのが、今になってさらにわかりますよね。

J.A.K.A.M.:そこからバリとか、タイとかいくようになって、そこでアジア人としての自分を感じることができて。そうやっていろいろなカルチャーに会うと、世界がそんな簡単には白黒では判断できないというか。そんなわかりやすいセパレイションではなくて、緻密なグラデーションなんだよね。その中で芸術の美しさみたいなものはドクロにも通じるものがあって、生と死、善と悪とか。

USUGROW:ありますね。「全部焼き尽くしてやる!」って思いながら、でも自分もその原因を作っている1人であったりする、ってことに行き付くわけじゃないですか。最初は自己中心的な部分もあったけど、だんだんと周りも見れるようになってきた。自分もその1人なんだなって。



「映画『Vengo』には影響を受けています」(USUGROW)


―「SPRIT BEYOND  THE  BORDERS」、絵も音も全体的に前向きで明るいイメージがありました。

J.A.K.A.M.:「SHADOW DANCE」(2014年)っていう曲を作っていたときに、パーティ「MOVEMENTS BYOND」でUSUGROW君に文字を頼んだんだけど、「SHADOW DANCE」のPVが影響でかいのかな?

J.A.K.A.M.「SHADOW DANCE」
https://www.youtube.com/watch?v=Yfalgf4pVhM

USUGROW:ちょうど「SHADOW DANCE」の少し前くらいからフラメンコの影絵を描いたんですよ。MOOCHYさんから薦められた映画『Vengo』を観た後。それが2014年くらい。

『Vengo』
https://www.youtube.com/watch?v=R1HaQ0yea58

J.A.K.A.M.: 自分が『Vengo』を観たのは、ディアンジェロの『Voodoo』を聴いていた時と同じ2001年で、その後に『Vengo』ありきで2004年「CROSSPOINT」を立ち上げたんだけど、『Vengo』の冒頭の部分がまさにCROSSPOINTで影響を相当影響を与えられた。ジプシーと同時にインドとかアラブとか、そのあたりのものがあの映画で全て繋がって、「SHADOW DANCE」に繋がってくる。「SHADOW DANCE」の制作時は、既にどこかでUSUGROW君を誘うっていうのはありつつ、俺がやっている世界観を伝えるために『Vengo』を教えたんだと思う。俺自体も21歳でバリに行って影絵自体は既に影響を受けつつ、川村亘平斎の影絵のスタイルが直接的にインスピレーションになって「SHADOW  DANCE」のPVのイメージはできた。ちなみに2011年2月にトルコ、セネガルとかに行くようになって、同時にイスラム的なものやアラブ的な音楽は、2010年に及川さんに出会ってから俺の中で身近なものになっていった。で、それくらいの頃から、USUGROW君もアラビックっぽい文字を描くようになっているような。

USUGROW:確かにあの辺くらいからかもしれないですね。探していたものが、MOOCHYさんだったり、及川さんが教えてくれるもので、より強くなりましたね。



J.A.K.A.M.:シャドーダンサーの絵は、いつくらいから描き始めたの?

USUGROW:2014年10月にサンフランシスコで個展("INKFLOW" at FIFTY24SF, San Francisco)をやったんですけど、 そのときにサンフランシスコで2枚描いたんですよ。それが最初ですね。なんで、「SHADOW DANCE」の少し前からかもしれません。でもそのとき既に『Vengo』を見せてもらっていたから、頭の中にはすでにそれがあって。

J.A.K.A.M.:そこでたまたま俺が「SHADOW DANCE」を作ったってことになるのかな。で、USUGROW君はそのときは既に、シャドーダンスに対してメンタル的にできていたんだね。

USUGROW:そういうことかもしれません。だからあのときに、「あ!  今、自分きてる」「できる!」って、そんな感じだったんだと思います。

J.A.K.A.M.:それで俺もなんかそこでビジュアライズされたことによって、音楽もそうだけど限定する、絞るってことじゃない。

USUGROW:こういうイメージなんだよって見せちゃうわけですからね。良くも悪くも。



「民族的な部分を凝縮したものを求めているんだと感じた」(J.A.K.A.M.)

J.A.K.A.M.:それによって自分も暗中模索の中で「SHADOW  DANCE」以降、9カ月あれをやっていて、それが結果的には詰まったアルバムになったって感じだった。そこから7年経って、自分としても客観的に俯瞰してあの作品群を見れるようになったから、今回のことができるっていうか。USUGROW君が描いてきた絵を軸とした今回のオファーっていうことで、自分の中でもUSUGROW君のやりたいことや考えてきたこと、それと俺がやってきたこと、やりたかったことがさらにひとつの限定されたものになっていった。俺の中では絵を観て、『Vengo』とかも含めて、民族的な部分を凝縮したものをUSUGROW君は求めているかなと感じたから、そこの部分の濃度をより高めたくて、USUGROW君が俺のどの曲でインスピレーションになったか質問をして、何曲かリストアップしてもらったんだよね。その中に「ONENESS CAMP」でやった、J.A.K.A.M. &THE SPECIAL FORCESの曲があって。

https://www.youtube.com/watch?v=-7xCP64QC4A

USGROW:それが、本当に凄く良かったんですよ。

J.A.K.A.M.:そのYouTubeからUSUGROW君が自分で引っ張ってきた音源、ライブでやった「TRIBES」と、「Al ATTLAL(廃墟)」の2曲を抜粋したものを送ってきて、10年ぶりに聴いたら我ながらグっときた。しかも、その2曲の間に”廃墟”に関して俺がMCで語っている内容も意外に良くて響いた。

USGROW:今やっていることは、確実にあの辺りからなんですよ。「ONENESS CAMP」には俺もライヴペインティングで参加しましたけど、あれは本当に大変でしたね(笑)

http://onenesscamp.org

J.A.K.A.M.:禊(みそぎ)だったもんね笑。とにかくあの音源が送られてきて、もう一度聴き直したら、あの時の思いみたいなのが吹き出て、ぶっちゃけ涙腺が緩んだというか。それが今回ヒントになって選曲をしていったんだよね。で、それと同時にBAD BRAINSの懐かしい映像も送られてきて(笑)
https://ja.wikipedia.org/wiki/バッド・ブレインズ

USUGROW:心構えとして(笑)

J.A.K.A.M.:当然、俺の中にもBAD BRAINSはあるからね。BAD BRAINSズが元々ジャズ上がりっていうのも興味深いけど、レゲエとハードコアパンクを混ぜこぜにやるあの吐き出し方はラウドミュージックの中でも異端中の異端じゃない。そこを認められる人と認められない人とで、ある意味KKKかそうでないかがわかるよね笑。

USUGROW:広さが求められるというか。

J.A.K.A.M.:ある意味俺がやろうとしていることもBAD BRAINS的というか。ラウドミュージックをやりつつ、DJもやっていたから、そのラウドミュージックが好きな人たちの集合体に違和感を感じつつ、ヒップホップやクラブミュージックの人たちにも違和感を感じつつって。でも今は世の中全般、クロスオーバーしている人たちが多いと思う。

USGROW:どこか一箇所にいるのはいいんですけど、時間が経ってくると、なんかちょっとこれハマらないなって思うようになって、それで他のところに行ってって、それを繰り返す。それで各々のいいところを収集して、自分の居所を探そうみたいな。そういう意識ですよね。 


―メインビジュアルを手にしたのはなぜですか?

USUGROW:手に関してはMOOCHYさんにうちにきてもらって、手を押してもらったこともあるんですよ。

J.A.K.A.M.:「ABSTRUCT DUB」に使ったんだよね。ちなみに「MOMENTOS」も『MOVEMENTS』手を使っている。

USUGROW:手は好きですね。なんか象徴的なものとして手をよく描きます。でも、見た目が地味なんで、スカルの方がいいって言われますけど(笑)

J.A.K.A.M.:それいつもうちらの愚痴だよね笑。俺たちがいいって思うものは、世間には受けないよね~って(笑)。だけど俺たちはクリエイターズクリエイターでいいってことで笑。


―今回は、USUGROWさんから音に関してMOOCHYさんへ依頼をしたんですか?

USUGROW:僕から言い出しました。去年の個展(”SPIRIT BEYOND BORDERS" at SHINTORA PRESS, TOKYO)で作品集を作りたいなと思っていたんですけど、結局1年経っちゃって。出すんだったら自分のインスピレーションだとかも一緒に紹介したいなと思って、それで音楽で聴いてもらいないなと思って、「SPIRIT BEYOND BORDERS」のサウンドトラック的な感じでMOOCHYさんに頼みました。そしたらインスピレーションを受けた曲を教えてくれと言われて、だいたい「ONENESS CAMP」か「COUNTERPOINT」のあたりに限定をしました。

J.A.K.A.M.:絵がああいう感じだったから、名指しで「COUNTERPOINT」の中でどの曲にUSUGROW君はインスピレーションを受けたのか聞いて、6曲くらい提示されたのと、さっき言ってたライヴの音源を送ってきたから「なるほど」と。俺とUSUGROW君は立場、役割は違うけど、表現者としてもやるならここって絞ったラインが俺には言葉よりもチョイスされた音で伝わった。



「踊りは心と身体と、その人なりの哲学がひとつになったときに生まれるもの」(USUGROW)


―踊る人について。身体を使うダンスについてどう思っていますか?

USUGROW:「DANCE」とか言ってるから特別な感じになっているけど、ダンサーの踊りって心と身体と、その人なりの哲学ががひとつになったときに生まれるものだと思うんです。で、それは日常で自ら求めている形だと思うんです。朝起きたときに、今日はなんか気持ちよく体が動くし、頭も冴えているしみたいに全部の条件が奇跡的に揃ったときと似ていると思うんですけど、ダンサーの人たちはその瞬間を常に見せている。

J.A.K.A.M.:やっぱり今回のダンスは『Vengo』の影響がデカイでしょう。映画の中のジプシーンのような踊りをする人たちは確かに格好いい。演奏者もいいんだけど、ダンサーに目がいく。映画の冒頭からお葬式のシーンで、イスラムのスーフィーの人とフラメンコダンサーがいきなりセッションするところから始まるんだけど、そのダンスがね。これがもう。

USGROW:テーブルをがんがん叩く感じとかも、剥き出しですからね。古代と現代が対話しているみたいな。所々に入ってくるセッションが音楽も、踊りも凄くて。爆発力が凄い。


―リリース後は何か考えていることはありますか?

J.A.K.A.M.:いろいろな国のダンサーを集めてイベントしたいとか、USUGROW君が言ってたよね。妄想だとしても、そのビジョンがあるかないかで違うと思う。

USUGROW:あるかないかですからね。

J.A.K.A.M.:俺たちが妄想しているヴィジョンって、意外に海外の人たちが面白がって形にしてくれるかもしれないよね。それも楽しみだな。



2022年7月4日
東京高田馬場の九州珠にて



アートブック詳細
タイトル SPIRIT BEYOND BORDERS
著者 USUGROW
W148 x H210mm, 96ページ, ハードカバー
¥3,300(税込)
ISBN 978-4-9907395-5-3 C0071 ¥3000
出版 HIDDEN CHAMPION INC.

お問合せ usugrow.oc@gmail.com

7月15日からUSUGROW個展会場で販売開始
以降HIDDEN CHAMPIONオンラインストア、USUGROWオンラインストアはじめ、各取扱店で順次発売。
http://usugrow.com

個展情報
USUGROW Solo exhibition “DANCING i”
at SORTone
2-14-17 Jingumae Shibuya-ku Tokyo
2022年7月16日(土) - 7月24日(日)
Open: 13:00-19:00 Closed: 18日(月) & 19日(火)
*Opening reception: 7月15日(金) 18:00-21:00




Author:
Kana Yoshioka
フリーランスエディター/ライター。1990年代前半ニューヨークへの遊学を経て、帰国後クラブカルチャー系の雑誌編集者となる。2003年~2015年までは、ストリートカルチャー誌『warp』マガジンの編集者として活動。現在はストリート、クラブカルチャーを中心に、音楽、アート、ファッションの分野でさまざまなメディアにて、ライター/エディターとして活動中。
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